東京高等裁判所 昭和33年(う)828号 判決
被告人 長谷川義明
〔抄 録〕
原判決は、被告人は昭和三十二年十月十三日午前三時頃国電神田駅附近において東京都中野区宮園通三丁目五番地美鳩自動車交通株式会社自動車運転手内沼八郎(当四十九年)の運転する自動車に渋谷区松濤町までの約束で乗車し、同日午前三時二十分頃東京都渋谷区大山町二番地松濤公園脇の今川正弘方前路上に到るや右運転手を殴打して逃走し乗車料金の支払を免れる目的をもつて停車を命じた上右内沼運転手の隙に乗じて矢庭に隠し持つた棍棒をもつて右同人の頭部を殴打して車外に飛び出し、更に同人の脚部を蹴上げる等の暴行を加えてその反抗を抑圧して逃走し、もつて自動車料金三百七十円の支払を免れて財産上不法の利益を得たものであるが、右暴行に際し、右同人に対し全治約五日を要する頭部及び背部打撲傷の傷害を与えたものである、との強盗傷人の公訴事実に対し、右強盗行為については判断を加えず、単に傷害の事実のみを認定処断していることは所論のとおりである。しこうして、所論は、元来強盗傷人罪は強盗行為とその際における傷害行為との結合したものとみれるのであるから、その一部について判決すれば足りるとするものではなく、それぞれの事実について判決して始めて審判の請求を受けた事件について判決したものといえるのであり、殊に現行刑事訴訟法が採用した訴因制度に徴しても、原審が検察官に対し訴因の変更又は撤回を求めることなく、単に審判を受けた事件の一部である傷害行為についてのみ判決し、強盗行為についての判断をしなかつたのは審判の請求を受けた事件について判決しなかつたものである、と主張する。しかしながら、強盗傷人罪は一つの構成要件中に他の構成事件が包含されている場合であつて、その一部について審理判決することはこれによつて格段の事由がない限り被告人の防禦に実質的な不利益を生ずるおそれがないものというべきであるから必ずしも訴因の変更又は撤回を要しないものと解すべきであり、しかも本件は、原審裁判所において一罪の一部である傷害行為については有罪と認め、強盗行為については犯罪を構成しないものと認定したものであるから、有罪と認められる傷害行為のみについて判決したのは、原裁判所としては、もとより当然のことに属し、これをもつて審判の請求を受けた事件について判決しないものということはできない。所論援用の判例は本件には適切ではない。ひつきよう、論旨は理由がない。
同第二点について。
原判決は、本件公訴にかかる強盗傷人の事実につき、被告人が原判示のごとき経過から所携の野球用のバツトの折れはしで前記内沼八郎の頭部及び左顔面を数回殴打する等の暴行を加え、同人に対し全治約十日間を要する頭部及び背部打撲症を負わせた事実を認定しているに止まり、被告人が右内沼八郎に対し右のごとき暴行を加え、その反抗を抑圧して逃走し、もつて自動車料金の支払を免れて財産上不法の利益を得た点については何らこれを認定していないことは原判文上明らかなところであるから、この点については、原判決には所論のごとき法令適用の誤りは存しないものといわなければならない。しこうして、次に原判決の事実誤認の有無につき検討するに、原判決挙示の証拠、殊に被告人の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書、原審証人内沼八郎の原審公判廷における供述及び同人の検察官に対する供述調書を綜合し、当審における証拠調の結果を参酌すれば、被告人は本件犯行の日の午前三時頃国電神田駅附近において最早帰宅するにも国電の終電時刻も過ぎ、現金も僅か三十円しか所持していなかつたので、困窮の末タクシーに乗車した上たまたま歩道上で拾つて持つていた野球用のバツトの折れはしで運転手を殴打して逃走しようと決意し、折柄同所附近に来合せた内沼八郎の運転する小型自動車に渋谷区松濤町までの約束で乗り込み、同日午前三時二十分頃同区大山町二番地の松濤公園脇今川正弘方前道路上に到るや停車を命じ、前記決意に基き矢庭に所携の右バツトの折れはしで両人の左顔面及び頭部等を数回にわたり強打して車外に飛び出し、更に同じく車外に飛び出し抵抗の気配をみせた右内沼八郎に打ちかかり、これを避けようとして後退した同人をしてそのはずみに道路の窪みに足を取られてその場に転倒するに至らしめ、よつて同人に対し全治約十日間を要する頭部及び背部打撲症の傷害を負わしめた上更に同人と組み打ちの格斗をなし、ついに同人が力つきて救いを求めるやその場を逃走し、もつて右暴行によりその反抗を抑圧して自動車料金三百七十円の支払を免れて財産上不法の利益を得たものであることを認めるに十分であつて、記録を精査検討しても、本件被告人の所為を強盗傷人の罪を構成せず、単に傷害に過ぎないものとなすことはできない。すなわち、原判決の認定は事実を誤認したものというべく、この誤が判決に影響を及ぼすことは明らかなところであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。
(坂井 山本長 荒川)